滝廉太郎居住地跡

更新日:2022年10月03日

場所:一番町6先 東硝ハイツ一番町東側交差点角歩道

東京都指定旧跡
1955年(昭和30年)3月28日指定

作曲家の滝廉太郎(たきれんたろう)(1879年~1903年)は、1894年(明治27年)頃から1901年(明治34年)にかけてこの付近に居住していました。滝廉太郎は東京に生まれた後、父の転勤のため大分で幼少期を過ごしましたが、高等小学校卒業後に上京し、東京高等師範学校付属音楽学校専修科(後の東京音楽学校、現在の東京藝術大学)に入学しました。優秀な成績で卒業した後、研究科を経て母校で後進の指導にあたりました。「花」、「荒城の月」、「箱根八里」、「お正月」、「鳩ぽっぽ」など現在まで語り継がれる数々の名曲を発表し、当時から高く評価されました。
1901年からドイツのライプツィヒ王立音楽院に留学しましたが、肺の病にかかって帰国し、大分市稲荷町の自宅で1903年(明治36年)に死去しました。
滝廉太郎が一番町に暮らしていたことを偲び、毎年秋に地元町会の主催で「滝廉太郎を偲ぶ会」がこの場所で開催されています。