中坂(九段北)

更新日:2022年11月22日

道路沿いに設置された中坂(九段北)の標柱の写真

場所:九段北一丁目12先

江戸時代初期に徳川家康が視察に来た時、付近の農民である飯田喜兵衛が案内役を務め、それ以降喜兵衛が名主となったことから、この地域を飯田町と呼ぶようになりました。元禄10年(1697年)の大火の後、付近の武家屋敷が移転した際、新たにこの坂が作られ、飯田坂と呼ばれるようになりました。その後、南にある九段坂と北にある冬青木坂の中間に位置することから中坂といわれるようになりました。現在では九段坂(靖国通り)が交通の中心ですが、江戸時代には中坂が重要な交通路であり、多数の商店が軒を並べていました。また、神田祭の山車などはみな、この中坂を通りました。

中坂(九段北)の標柱の設置位置を示した明治時代の地図、周辺には飯田町や富士見町があり、建物は階行社や川越鉄道会社、甲武鉄道会社などがありました。

【明治時代の中坂周辺】
赤丸の部分が標柱の設置位置。「東京一目新図」より。