常設展

更新日:2022年10月03日

1階の常設展示室では「江戸・東京の成立と展開」を総合テーマに、
環境・人間・都市を基本軸として、1万年以上前の旧石器時代から近現代までの
千代田区の歴史を実物資料や映像などで、5つのテーマにわけて紹介しています。

1. 発掘されたくらしと環境

千代田区には、古くから人びとが自然環境に適用しながら町づくりを進めてきた様子が残されています。人の生活の痕跡は旧石器時代からみられ、三番町遺跡では縄文時代前期ころの住居も見つかっています。古代の社会の中では千代田区は荏原(えばら)郡の一地方でしたが、富士見二丁目遺跡では円墳が見つかっており、ある程度の集団が生活していたと考えられます。
1室では、区内遺跡から出土した諸磯(もろいそ)式、加曾利(かそり)式などの土器や、東京国立近代美術館遺跡から出土した古代の役人の装飾具である石製銙帯(せきせいかたい)を展示しています。自然環境の変化が読み取れる溜池遺跡の剥ぎ取り土層なども見どころです。

溜池遺跡土層の剥ぎ取り標本を拡大した2枚の写真

溜池遺跡土層の剥ぎ取り標本

2. 日比谷入江と中世千代田

日比谷入江が存在した中世の千代田区では、水運が発達し、人やモノが行き交う場所として賑わいました。中世の人びとはこの入江を中心に生活を営み、一方で水上交易の利権をめぐって争いを繰り返しました。
2室は、この日比谷入江をとりまく中世千代田区の様子を紹介する展示となっています。日比谷入江周辺にあった遺跡で発見された板碑などから、中世初期に暮らした人びとの姿を紹介しています。またこの地域を支配した武士として、室町から戦国期に登場し、家康入府以前の江戸の基礎を築いた太田道灌(おおたどうかん)の活躍を紹介しています。

貨物船の模型のジオラマを写した写真

日比谷入江と千代田区域(ジオラマ展示)

3. 将軍の城づくり

徳川家康が入府し、江戸城の普請が始まると、千代田区は大きく発展することとなりました。江戸城に関連した遺跡が出土するのは千代田区ならではの特徴です。
3室では、日比谷入江の埋め立てから始まる普請の様子をバーチャル侍が解説しています。鍛冶橋門(かじばしもん)そばの丸の内一丁目遺跡から出土した石垣の土台、大鎹(おおかすがい)などは、江戸城の建設の様子を今に伝える資料です。建設当時の江戸の町は大変華やかで、江戸図屏風(左隻(させき))に描かれた城内や大名屋敷には金箔瓦が葺(ふ)かれている様子もみることができます。実際に遺跡から出土した金箔瓦や貿易陶磁なども実物を展示しています。

ガラスケースの中に江戸図屏風が展示されている写真

江戸図屏風の複製(国立歴史民俗博物館所蔵)

4. 江戸から東京へ

江戸城を軸として繁栄した千代田区域は、政治都市として、また経済や文化の中心地として発展し続けていきました。この頃に登場する「江戸っ子」や「大江戸」という言葉には、江戸で生活をする人びとがこの地域に寄せる郷土としての意識があらわれています。
 4室では、江戸に花開いた出版文化を切り口に、江戸中期から幕末・明治維新までの千代田区の歴史文化を解説しています。江戸の町や神社仏閣を紹介した地誌『江戸名所図会(えどめいしょずえ)』をはじめ、ペリー来航、安政の大地震、明治維新といった激動の時代の様子を物語る資料を展示しています。

ひびやの暖簾がある和室の壁と畳の上にたくさんの資料が展示されている展示室の写真

絵草紙屋の再現模型

5. まちの歴史

幕末から明治へと時代が移り変わり、千代田区域も江戸の中心から首都東京の中心へと変わっていきます。武家地・寺社地・町人地などで区分されていたまちの様子も変わり、独自の発展を遂げていきます。
5室は、区内を4つの地域に分けて、それぞれ異なる変化の様子を紹介する展示となっています。大名屋敷から官公庁街・ビジネス街となった地域、江戸以来の商工業の町が続く地域、武家地が新しい街となり娯楽・教育など賑わいの町へ変わった地域、武家地がそのまま住宅街となりそこに文化人が暮らした地域、それぞれについて、関係する資料をもとに紹介しています。

壁に建物の白黒写真や地図が貼られ、ガラスケースの中に展示された資料、出土した煉瓦が展示されている写真

北の丸公園から出土した煉瓦の展示風景

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