神田三崎町六差路

更新日:2022年10月03日

明治の再開発夢の跡

神田三崎町六差路(神田三崎町二丁目)

 JR水道橋駅の南側に不思議な六差路があります。そこを起点に三崎町を串刺しにするように斜めの道が日本橋川に突き当たるまで伸びています。お陰でここを歩くと時々方向感覚を失うことがあります。
 江戸時代の地図を見るとこの辺りには幕府の講武所がありましたが、当時は多少の歪みはあるもののほぼ碁盤状に道が伸びていました。講武所はペリー来航以来世情が騒がしくなったのを受け、幕府が開設した武道場で、幕末の三大剣客と言われた男谷精一郎や桃井春蔵などが教えていました。また、教授陣の中に勝海舟や村田蔵六の名も見られます。
 明治維新後、講武所があった場所は陸軍練兵場となりましたが、1890年(明治23年)政府が丸の内一帯とともに三菱の岩崎弥之助に売却しました。三菱は三崎町に上下水道、道路、橋などを作り、新しい街づくりを進めました。甲武鉄道(現在の中央線)の飯田町駅が開業、三崎座、川上座、東京座、神田パノラマ館、三崎勧業場(今のショッピングモール)なども開場し、飲食店、旅館、寄席なども増え三崎町は神田区内でも屈指の繁華街となりました。
 関東大震災などを経て、三崎町の隆盛は影をひそめていきましたが、通りの形状に往時の名残を見ることができます。

六差路に分かれている道路を人々が歩いている様子を写した写真

六差路外観

1907年(明治40年)頃の六差路の白黒地図

1907年(明治40年)頃の六差路