駿河台

更新日:2022年10月03日

緑濃い南向きの斜面の高級住宅街

駿河台(神田駿河台界隈)

道路横に巨木に囲まれた緑が広がっている様子を上から写した写真

 正式な地名としては「神田駿河台」となっている駿河台の一帯は、JR御茶ノ水駅の南側に当たります。今は大学や病院、各種学校などが多いですが、昭和初期までは大邸宅が並ぶ高級住宅街でした。

 地名の由来は、徳川家康が江戸入府の際に、駿河から連れてきた家臣団がこの地に居住したからとする説と、富士山が見えたからとする説があります。いずれにしても駿河=静岡に縁が深い地名です。家康は江戸の都市計画として、神田川を東に流して隅田川につなげるために、本郷台地の南端を開削しました。その際にこの新しい川の北側が「湯島台」とされ、その南側が「駿河台」とされました。南側の斜面は、江戸城にも近く徳川家臣団の居住地として最高の住宅立地だったと思われます。

 現代の駿河台は、明大通りから一歩裏に入った錦華坂一帯に、錦華公園や明治大学の巨木に囲まれた緑が広がり、作家芸術家に愛されたのも頷ける風致があります。
 特に山の上ホテルが神保町などの出版や書籍の関係で作家に愛されたのは有名な話ですが、「お茶の水美術学院」などの芸術系の予備校専門学校や、「レモン画翆」などの画材屋が立ち並ぶ芸術の街として、この界隈は特殊な一面を持っています。ほかにも文化学院から、アテネフランセに続く通りは、「マロニエ通り(とちの木通り)」という名前がつき、古めかしいビルが並んで、パリの一角を思わせる風情がありました。しかし、ビルの建て替えが進んでその風情は少し薄れました。かつて学生運動が華やかなりし頃は、「日本のカルチェラタン」と称されて、若い人が闊歩したのも懐かしい駿河台の姿です。

建物横に外灯や大きな木々が立っている山の上ホテルの外観写真

山の上ホテル(写真提供:山の上ホテル)

周辺に木々が立ち並び、緑色の滑り台やブランコ、ベンチなどが設置された錦華公園の写真

錦華公園(現在工事中)