柳原通り

更新日:2022年10月03日

今も昔もファッションストリート

柳原通り(神田須田町二丁目)

 江戸時代、神田川沿いの柳原通りを中心に、古着屋が集まりはじめました。「安かろう悪かろう」と言われた柳原物を扱う床店・露店(朝、店をひらいて夜は、店をたたんで帰る)が並び、にぎわっていました。明治時代前半には、古着の常設市場として確立し、1881年(明治14年)頃には、古着屋が100軒ほど並びました。この頃に、庶民も新品を手に入れやすくなり、柳原通り一帯は古着を含め、既製服卸の問屋街へと発展していきました。現在もまだ多くの繊維問屋、洋服店などが残っており、年二回の「岩本町・東神田ファミリーバザール」が開催されています。

 通りのおすすめポイントは看板建築です。関東大震災でこの辺り一帯も大きな被害を受けました。その後、東北より出稼ぎに来た大工たちによって似たような建築がいっせいに建てられ、看板建築通りとなったそうです。今も残っている看板建築を2つ紹介します。

 ひとつは「柳森神社」の斜め向かいに建つ「岡昌裏地ボタン店」です。創業は1897年(明治30年)で、現在の建物は関東大震災後の1928年(昭和3年)につくられました。「岡昌裏地ボタン店」看板建築の建物は、良好な状態で保存されています。「この町もこの店も大好き!!」「天気のいい時、また来てね!!」という店主の岡さんの明るい笑顔と優しさに包まれたお店です。

 もうひとつは「海老原商店」で、「岡昌裏地ボタン店」沿いを岩本町に向かって歩いていったところにあります。はじめは古着屋だったそうですが、関東大震災後、二代目が既製服屋に転向、三代目は背広の服地ラシャを扱ったということです。現在の建物は、震災後の1928年(昭和3年)に建てられました。「町の歴史を残したい、家族の思い出を残したい」と改修工事をしながら守り続ける、現在の当主の熱い思いが伝わってくる美しい建物です。

やなぎの木の下の駐車場に車が停車している柳原通りの写真

現在の柳原通り

各種職業用糸 岡昌裏地ボタン店の看板が設置された店舗正面を写した写真

岡昌裏地ボタン店

道路前壁がレンガの建物の海老原商店の店舗全体を写した写真

海老原商店