鍛冶橋門跡

更新日:2022年10月03日

場所:丸の内三丁目8先 鍛冶橋交差点南西角歩道上

鍛冶橋門は、1629年(寛永6年)に築造されました。門に附属する鍛冶橋は、現在の丸の内二、三丁目と中央区の八重洲六丁目を結んでいました。名称は、外堀の門外の町名が南鍛冶町(現在の中央区八重洲二丁目・京橋二丁目)であったことに由来します。また、江戸時代初期、御用絵師の狩野探幽(かのうたんゆう)の屋敷がありました。門内には大名屋敷が立ち並び、幕末には、津山藩(現在の岡山県)松平家、土佐藩(現在の高知県)山内家が付近に上屋敷を構えていました。
1873年(明治6年)に鍛冶橋門は枡形石垣を残して撤去されました。橋は、1876年(明治9年)にアーチ橋として再建されましたが、終戦後の瓦礫(がれき)処理で外堀が埋め立てられた際に、橋も姿を消しました。現在は「鍛冶橋架道橋」・「鍛冶橋交差点」にその名前が残っています。