喰違木戸跡

更新日:2022年10月03日

 喰違木戸は、1612年(慶長17年)に旧武田家臣の小幡景憲(おばたかげのり)によって縄張りされたと伝えられます。門からつながる土橋は、現在の紀尾井町と港区の元赤坂を結んでいます。
 通常、江戸城の城門は、枡形門と呼ばれる石垣を巡らした形ですが、ここは土塁を前後に延ばして直進を阻むという、戦国期以来の古い形態の虎口(こぐち、城の出入口)構造となり、門ではなく木戸が設けられていました。この地は、二つの谷に挟まれた高台で、江戸城西側の防御の要として構築されたと考えられます。現在は、一部土塁が削り取られているものの、その形状は保存されており、往時の様子を留めています。
 1636年(寛永13年)には、江戸城内郭と城下とを取り巻くように外堀工事が行われ、その全長は14キロメートルに及んでいます。このうち約4キロメートルの範囲が、1956年(昭和31年)3月26日に、江戸城外堀跡として国指定史跡になっています。