呉服橋門跡

更新日:2022年10月03日

呉服橋門は、1636年(寛永13年)に築造されました。門に付属する橋は、現在の丸の内一丁目と中央区の八重洲一丁目を結んでいました。名称は、日本橋側の門前の町名が呉服町(現在の中央区八重洲一丁目)であったことに由来します。また呉服町に幕府御用を勤めた呉服師の後藤家の屋敷があったため、後藤橋とも称されていました。
1871年(明治4年)、呉服橋門は枡形石垣と橋を残して撤去され、さらに戦後外濠川が瓦礫により埋め立てられた際に橋も姿を消しました。現在は「呉服橋交差点」・「呉服橋ガード」としてその名前が残っています。