亀住稲荷

更新日:2022年10月03日

手前左右に設置された長方形の石碑の奥に鎮座する亀住稲荷の拝殿の写真

場所:外神田五丁目4-7 亀住稲荷神社境内

 神田亀住町は、1869年(明治2年)に神田八軒町と周辺の神田六軒町、柳原大門町、上野町代地が合併してできた町です。同年12月の火事で外神田一帯が焼失し、一帯は火除地となりました。政府は、替地として旧豊前小倉藩(現在の福岡県。維新後は豊津藩)小笠原家の敷地(現在地:外神田五丁目)を提供しました。この時、邸内で祀られていた屋敷神と、神田八軒町にあった稲荷を合社し1870年(明治3年)に亀住稲荷が創建されました。祭神は大年神命(大年神)と倉稲魂命(宇迦之御霊神)です。

明治時代の亀住町周辺

 明治30年(1897年)に描かれた「東京一目新図」で亀住町周辺の様子を確認すると、東側に日本鉄道会社の線路(現在のJR:上野~秋葉原間)が通り、西側には東京馬車鉄道株式会社の線路が通っています。馬車鉄道とは、馬が引く馬車が通る鉄道のことで、東京では明治30年代に電気化されました。亀住町は交通の要衝にあったことが分かります。
地図には現在では使われていない町名も記載されており、近代の街の歴史を知ることができます。

亀住稲荷のある位置を示した亀住町周辺の地図

『東京一目新図』に描かれた亀住町周辺。●(丸)が亀住稲荷のある位置。