神田上水懸樋跡

更新日:2024年04月12日

神田上水懸樋跡

場所:神田駿河台二丁目11先  

江戸時代、この辺りには神田上水が神田川を越えるために設けた懸樋(かけひ)がありました。1658年~1661年(万治年間)に架け替えられ、俗に万年樋と呼ばれました。
 神田上水は、江戸で最も早く整備された上水といわれ、1596年~1615年(慶長年間)に整備に着手したといいます。井の頭池・善福寺池・妙正寺池を水源とし、現在の文京区関口あたりに堰が設けられ、小日向台から小石川後楽園を通り水道橋の下流に達しました。懸樋によって神田川を超えた上水は、この辺りから暗渠(あんきょ、埋樋)となり、南は京橋川、東は永代橋より大川(現在の隅田川)以西、北は神田川、西は大手町から一橋門外まで供給されました。
 なお、関口で神田上水から分水した余水は河川となります。牛込門外(現在の飯田橋)までは「江戸川」、牛込門外から下流は「神田川」と呼ばれました。