川上座(改良座)跡

更新日:2022年10月03日

 神田三崎町一帯には、川上座のほかに三崎座(現在の神田三崎町二丁目1)・東京座(現在の神田三崎町三丁目3)があり、「三崎三座」と称され明治20年代の東京の演劇界の中心のひとつとして賑わいました。
 川上座は、1896年(明治29年)6月に川上音二郎が開場した劇場です。川上は、オッペケぺー節で自由民権思想を普及し、歌舞伎劇に対抗して壮士芝居(そうししばい、新派劇)を興したことで有名です。また彼の妻は女優川上貞奴(かわかみさだやっこ)でした。
 建坪は212坪、桟敷定員150人・土間577人、大入場354人で立見場はなかったと記録されています。
 1901年(明治34年)1月から改良座と改称しましたが、1903年(明治36年)4月6日の失火により焼失し、以後再建されませんでした。