硯友社跡

更新日:2022年10月03日

場所:九段北一丁目12先 和洋九段校南西交差点脇歩道

硯友社(けんゆうしゃ)は1885年(明治18年)2月、東京大学予備門で学ぶ尾崎紅葉(こうよう)・山田美妙(びみょう)と、石橋思案(しあん)らによって結成された日本初の文学結社です。同年5月には機関誌として『我楽多文庫(がらくたぶんこ)』を発行しました。同誌には言文一致体小説から新体詩、狂歌などあらゆる分野の文学が掲載され、川上眉山(びざん)、巌谷小波(いわやさざなみ)、広津柳浪(ひろつりゅうろう)、江見水蔭(えみすいいん)など同人は200名を数えました。創立メンバーの1人である山田美妙が同誌を去ると、誌名は『文庫』と改められます。
硯友社同人の作品は広く当時の青年に受け入れられ、明治期の文壇の基礎となりました。明治30年代以降、同人は個別の活動を始め、硯友社としての活動は衰退します。その後、紅葉の死を契機として硯友社の活動は終わりました。