神田八丁堀跡

更新日:2022年10月03日

 1657年(明暦3年)に起きた振袖火事(明暦の大火)は、江戸城及び江戸市内に大きな被害をもたらしました。この大火の後に、防火のために八丁(約870メートル)にわたって土手が築かれ、そばに明地が作られました。1691年(元禄4年)に町人たちが自ら費用を負担して明地に堀を開削し、これが神田八丁堀であり、神田堀や銀堀(しろがね)とも呼ばれました。のちに竜閑川と名付けられ、千代田区と中央区の区界(くざかい)になりました。
 堀は現在の内神田二丁目にある千代田合同庁舎あたりで外堀(現在の日本橋川)から分岐して東北東に続き、東神田一丁目から南南東に向きをかえて新堀(のちの浜町川)となって大川(現在の隅田川)に注いでいました。この堀には、西から竜閑橋、乞食橋、中之橋、今川橋、東中之橋、地蔵橋、待合橋、九道橋、甚兵衛橋、幽霊橋が架かっていました。
 終戦後、1950年(昭和25年)に堀が全部埋め立てられるとともに、橋も消失しました。