贈右大臣大久保公哀悼碑

更新日:2022年10月03日

緑の木々の前に設置された贈右大臣大久保公哀悼碑と説明板の写真

場所:紀尾井町2 清水谷公園内千代田区指定文化財
平成4年(1992年)4月1日指定

1878年(明治11年)に暗殺された大久保利通をしのんで1888年(明治21年)5月に建立された碑です。大久保利通(1830-1878年)は薩摩藩(現在の鹿児島県)出身の政治家で、明治維新後は版籍奉還や廃藩置県などを主導し、初代内務卿に就任しました。
西南戦争の終結後、一部の士族らが大久保の政策に反発し、1878年5月14日朝、麹町清水谷において赤坂仮皇居内の太政官へ出仕する途中の馬車を襲い暗殺しました。この事件は「紀尾井坂の変」と呼ばれています。
湧水があったことから清水谷と呼ばれるこの周辺は、1890年(明治23年)に東京市によって整備され清水谷公園となりました。

詳細情報

碑文は以下のとおり。改行は碑の文面に合わせ、旧漢字を新漢字に置き換えました。

嗚呼此贈右大臣大久保公殞命之所也公之在世身繋天下之安危
天子倚以為重一朝変生不測溘焉長逝悲夫自古忠臣烈士死于非命者
何限然概在喪乱之世擾攘之際乃公則功成名遂遇国家方隆之運。将永
享太平之楽而遽罹此禍宜乎 九重宸悼天下識与不識無不惋惜痛
歎也抑公既以身許国死生禍福一聴于天而不悔而其所施為。赫赫在人
耳目則公雖死乎猶有不死者存焉距公之薨七年過此地者咨嗟歎息往
往低徊不能去於是僚友義故胥謀建碑以表追悼亦情之不可巳也公之
勲業蔵在太史勒在桓びん此特記建碑事由以告来茲
明治十七年十月 編修副長官従五位勲六等重野安繹撰
 内閣大書記官従五位勲五等金井之恭書
 鉄道二等技師正六位勲六等毛利重輔督工事
 廣群鶴刻字