清水谷(公園内)

更新日:2022年10月03日

公園内に設置された清水谷の説明板の写真

場所:紀尾井町2 清水谷公園内

 江戸時代、この地域には紀州徳川家、尾張徳川家、井伊家の屋敷があり、その頭文字から紀尾井町と呼ばれています。清水谷の名は、井伊家と紀州徳川家の屋敷境の谷筋から清水が湧き出ていたことに由来します。1878年(明治11年)、清水谷付近で大久保利通が暗殺され、この地に「贈右大臣大久保公哀悼碑」(千代田区指定文化財)が建てられました。
 清水谷公園は東京市によって整備され1890年(明治23年)に開園しました。1965年(昭和40年)に千代田区に移管されています。公園内には、大久保公哀悼碑の他に、江戸の水道施設である玉川上水の石枡(麹町三丁目2番地先出土)が展示されています。