佐野善左衛門宅跡

更新日:2022年10月03日

場所:三番町12先 大妻女子大学前歩道

現在の大妻学院の辺りには旗本佐野家の屋敷がありました。佐野家は代々番士として、江戸城の警備を勤めていました。1784年(天明4年)4月24日、当主であった佐野善左衛門政言(さのぜんざえもんまさこと)は、江戸城内で若年寄の田沼意知(おきとも、老中田沼意次(おきつぐ)の子)を斬りつけ、その後切腹を命じられ自害しました。
当時、飢饉や大火が続き、物価が高騰していましたが、この刃傷事件が米価の下落の時期と重なり、さらに老中田沼意次が失脚したことから、善左衛門政言は「世直し大明神」と江戸の人々から崇められました。この事件を脚色した歌舞伎の「有職鎌倉山(ゆうそくかまくらやま)」や黄表紙『黒白水鏡(こくびゃくみずかがみ)』(石部琴好作・山東京伝画)はこの事件を風刺したものと言われています。
善左衛門政言の墓所は台東区の徳本寺にあります。