帝国議事堂跡

更新日:2022年10月03日

バス停脇植栽内に設置された帝国議事堂跡の説明板の写真

場所:霞が関一丁目3先 経済産業省別館東側の経済産業省前バス停脇植栽内

 明治14年(1881年)に国会開設の勅諭が発せられ、明治23年(1890年)11月24日に木造の仮議事堂が内幸町に竣工しました。向かって右が貴族院、左が衆議院で、三角屋根が特徴的な建物でした。この議事堂は2度にわたって焼失して再建され、昭和11年(1936年)に永田町(現在の国会議事堂)へ移転するまで使用されました。

 明治14年(1881年)に国会開設の勅諭が発せられると、明治23年(1890年)の議会開設を目指して憲法制定をはじめとする様々な準備が開始されました。中でも重要だったのは議事堂の建設でした。当初から議事堂を永田町に建設することは決まっていましたが、財政事情や国会開設の時期が迫ってきたこともあり、まずは仮議事堂を内幸町(現在の霞が関一丁目)に建設することになりました。
 国会開設の前日である1890年11月24日に第一次仮議事堂が竣工しました。向かって右が貴族院、左が衆議院で、三角屋根の木造二階建ての建物でした。しかし、この仮議事堂は翌年1月、火災によって焼失してしまいます。議会は一時休会となり、貴族院は華族会館(日比谷の旧鹿鳴館)へ、衆議院は東京女学館(旧工部大学校)へと移転しました。
 明治24年(1891年)10月に第二次仮議事堂が竣工し、この議事堂は大正12年(1923年)の関東大震災にも耐えて48回の議会が開催されました。第二次仮議事堂は大正14年(1925年)に焼失した後、第三次仮議事堂が建てられ、昭和11年(1936年)、永田町に帝国議事堂(現在の国会議事堂)が竣工するまで使用されました。

日本国旗が掲げられた建物に馬に乗った人達や馬車に乗った人達が門から入ろうとしている版画を写した写真

議会開会の1890年、議事堂に行幸する明治天皇を描いた版画「帝国議会御臨幸之図」。
『東京名所図会 麹町区之部』(東陽堂、明治31年)掲載。
千代田区教育委員会蔵

立派な門の奥に大きな貴族院が映された白黒写真

焼失後、再建された第二次仮議事堂。向かって右側の貴族院を写している。明治末頃撮影。
千代田区教育委員会蔵

門の両隣に小さな建物が2つあり、駐車場内に車が停車している第三次仮議事堂の建物全体が描かれたイラスト

第二次仮議事堂の焼失後に再建された第三次仮議事堂。この建物が最後の仮議事堂となり、永田町に移転後は取り壊された。
千代田区教育委員会蔵