幽霊坂

更新日:2022年10月03日

道路沿いに設置された幽霊坂の標柱の写真

場所:神田駿河台四丁目6番地先

江戸時代には火消役の屋敷があり、そこへ上る坂道でした。江戸時代の初め頃は緩やかなカーブで、埃坂あるいは光感寺坂とも呼ばれていました。のちに直線状に整備されて、紅梅坂へとつながっていましたが、大正時代の区画整理で本郷通りができたために2つに分かれた形となりました。このあたりは木々が繁っていて昼間でも薄暗かったことから、幽霊坂の名が付けられています。

幽霊坂の標柱の設置位置を示した地図

【明治時代の幽霊坂周辺】
赤丸の部分が標柱の設置位置。「東京一目新図」より。